TRAVESSIA

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モバイルインターネットの世界へ


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 国内最大手携帯電話会社 和歌山支店の企画総務担当への派遣社員の求人が出ていたのを見て、これからはモバイルの時代と直感し応募。面接を経て採用されました。
 主な業務は支店長のスケジュール管理や来客対応、そして課長宛てに本社から毎日メール送付されてくる膨大な量の社内文書の内容をチェックし、支店内の担当部署へ振り分けることでした。社内のあらゆる部署から発信された文書をすべて見ることができるため、これからモバイルの世界がどう変わっていくのかが手に取るようにわかり、毎日とても刺激的な日々を過ごしていました。
 派遣期間の後期には当時の支店長から直々に命を受け、支店のHPの作成を担当。未経験ながらホームページビルダーを駆使し初代のHPを作成し、その後更新も担当することになりました。これらの経験から、インターネットの世界への関心が強くなっていきました。

転職の経緯
携帯電話会社で派遣社員として勤務している間に、志望していた大学院の教授が退官。後任の教授が全く異なる分野の研究者であったため、進学を断念せざるを得ない状況になりました。
 また、当時はまさにモバイルインターネットの黎明期であり、携帯電話会社でその空気感をリアルタイムで体験。モバイルインターネットの世界に無限の可能性を感じ、大学院へ進学するのではなく、モバイルインターネットを利用したメンタルを含めた総合ヘルスケアに資するようなサイトやツールを創ることで社会に貢献したいと考えるようになっていきました。
 ちょうどその頃、和歌山県下の携帯電話代理店最大手である情報通信サービス会社が、モバイルインターネット専門の公式有料情報サイトをスタートすることになりました。
 携帯電話代理店だけでなく、幅広くIT関連業務を手掛けるこの会社に魅力を感じ、ここでなら、自分の考えるモバイルインターネットを用いたヘルスケアサイトを実現できるかも?と思い、採用試験に応募。大学生と一緒に入社試験を受け、トップの成績で採用試験に合格。無事、転職することができました。


人事労務への異動と社労士受験


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 入社後、希望通り携帯電話向け公式有料会員サイトの運営に従事。3名という少人数での運営、しかもうち2名は営業のため外出・不在であることが多く、日中の諸業務等、1人で何役もこなしていまいした。ニッチな情報の安定した供給と、掲示板等の相互交流ツールを生かすことで地域限定サイトとしては規格外の会員数・アクセス数を誇り、平均寿命3年と言われる携帯電話向け有料サイトの中で10年以上会員数が増加し続けるという驚異的なサイトに成長しました。
 またその頃、社長より直接命を受け女性向けブランドショッピングサイトの企画を任されました。依頼はされたものの内容等は全く白紙の状態。サイトの内容等すべて1人で企画を立てました。
 パワーポイントの資料など全く作ったことがありませんでしたが、入門書を見ながら独学で3日3晩ぶっ通して企画書を創り上げ、その足で社長に直接プレゼン。「うちの会社の営業にこれだけの企画・プレゼンができるやつは他にいない。ぜひ企画・営業をやってほしい。」と文句なしの高評価を得ることができました。
 しかし、入社当時に夢を描いていたヘルスケアに関するサイトやツールの開発の夢は叶わずじまい。自分自身これでよいのだろうかと自問自答する日々を過ごしていました。

 そんな時、新任の人事課長が私の「産業カウンセラー」の資格に目をとめ、話しかけてきてくれました。
 「今の仕事はキャリアにあっていないね、もったいないな」
 そんな考え方があったのか…と驚くとともに、今後の自分のキャリア形成について改めて深く考えるきっかけとなりました。その後、その人事課長が中心メンバーとなって発足したキャリアコンサルタントのNPOに参加。
 産業カウンセラーとはまた異なる点に興味を持ち、キャリアコンサルティングの勉強を始めました。講座の中で自分のキャリアの棚卸を行い、改めて過去を振り返ったときに、「人に喜んでもらうことが自分の喜びである」ことを認識。ここでやっと自分自身の「点と点を繋げる」ことができました。そして今後は対外ではなく、会社の中で社員の人が幸せに仕事ができる環境を整備していきたいという思いを強くし、人事担当への異動願いを出すことにしたのです。

 願いが叶い、総務人事担当へ異動を果たしました。しかし担当は給与。これまでほとんど自分の給与明細を見たことがなかったほどの関心がなかった分野のため、大いに戸惑うことになりました。
 1ヵ月だけ前任者が一緒について業務を行ってくれもののが、2か月目からはすべて自分1人で約350名の給与計算を担当。
 社会保険や労務管理に関する知識のなさを痛感するとともに、実は周囲にも経験による知識はあるものの、法律に基づく正確な知識を持つ人がいないことに気付きました。
そこで、思い切って社会保険労務士の資格取得を目指すことにしたのです。
 同年10月から通信教育で本格的に勉強をスタート。同僚や上司にも受験することを公言し、熱が40度ある日も1日も休まずに勉強を続けた結果、翌年8月の試験で一発合格を果たすことができました。受験勉強は決して楽なものではありませんでしたが、ずっとモチベーションを維持させてくれたのは過酷な環境でも一生懸命仕事をしてくれている社員の皆さんの姿でした。私が社労士試験に合格すれば、労務管理体制の変更等にも説得力が増すはず…。そんな思いから頑張り続けることができました。
 もし、自分のために受験したのであれば、とっくに挫折していたと思います。もちろん上司や同僚・社労士受験校の先生方等、周囲の皆さんのサポートも大きなものでした。


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制度と自己研鑽の日々


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 社労士受験勉強中に、給与担当から人事担当へ変更。

 東京から人事コンサルタントを迎え1年間で人事制度改定を行うことになり、私もそのチームの中心メンバーとして関わることになりました。現状分析の上、まずは資格等級を見直し、そのうえで一番働き盛りでお金も必要な層(30~40代)への分配を大きく…という方針をチームで打ち立てました。
 しかし、改定のたびに壁にぶち当たり、「人事制度の構築には、何か決まった方策があるはず」との思いを強くするも当時はそれが分からず、最終的にはピッチ変更と少しのベアのみという惨憺たる結果に。
 この時の経験から、人事制度構築のノウハウを勉強する必要性を強く実感しました。
その後、人事労務という切り口から企業とそこに集う人々の成長発展に資することを目的とした、社会保険労務士とコンサルタントの集団「日本人事労務コンサルタントグループ」設立と同時に個人で入会。現在も正会員として所属し自己研鑽を続けています。


メンタルヘルス担当として


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 総務・人事に異動した当初から、毎月5~10名の人事面談を担当。主に入社、異動や昇格後のアフターフォローとメンタルヘルスのチェックのため。1人につき1回最低30分~1時間、多い場合は3時間位時間をかけることも珍しくありませんでした。
 事前に対象者について下調べをしっかり行ったうえで、カウンセリングやキャリアコンサルティング等のスキルを取り入れたきめ細やかな面談を行うことで、被面談者の心を開き彼らの思いを包み隠さず話してもらえるので、常に重要な情報を得ることができました。
 またその面談をもとに作成するきめ細やかな報告書と説明、アフターケアの方策等の提案などは各部署から定評を得ていました。
結果、次第に本社以外の事業所等も含め、社員の面談依頼が私へ直接来るようになっていきました。

 メンタル疾患の疑いのある従業員については医療機関の受診のすすめを行い、そのフォローアップも行いました。また自殺の恐れなど特に緊急性のある場合や、本人から依頼があった場合には医療機関へ同行したこともあります。実際それで当初の個人が受診した医療機関の見立てが誤っており、適切な治療が受けられて劇的に回復したケースも経験しました。
 メンタルヘルスに関しては休職に関する規定が十分でなかったことから、会社の休職命令権の付与、休職の前段階である欠勤期間の通算、休職期間の通算、休職・復職の会社判断に関して新たに規程を1人で整備。これにより休職が大変スムーズに行えるようになり、結果、休んでも復職できる率が高くなりました。
 長期の自宅療養を要する場合は療養に入る際に家族も同席の上、本人と面談を行い独自で作成した自宅療養中の手引きを見せながら、諸注意や連絡方法、その間に受けられる健康保険の給付や必要となる経費についてすべて説明し、安心して休んでもらえるようにした結果、社員本人はもちろん家族とも信頼関係を築くことができました。

 復職支援にも力を入れ、会社指定の復職診断書フォーマットを独自に作成。復職後の異動の必要の有無や段階的リハビリ出勤の指示等を書いてもらうようにし、それを元に復職を支援しました。毎日終了時間には必ず部署まで迎えに行き、毎日帰りに面談をして気軽な雑談を通じて今日1日の健康状態を把握するようにしました。この面談は当該社員からも「ストレスが和らぐ」と好評を得ていました。
 リハビリ中に調子を崩すことはありますが、家族とも連携を密にし早め早めの対応を行ったため大事に至ることはありませんでした。順調に回復し、最終的には定時までのフルタイム出勤ができるようになるなど、確実に成果を上げることができました。

 またメンタル疾患の労災の申請も経験しました。当該社員の所属部署の上長・本人からのヒアリング、および膨大な提出資料作成をすべて1人で行ったのです。同時に、当該社員の休職から復職をサポート。上記のケースと同じくきめ細かい対応をしました。それが功を奏したか、比較的軽い症状で短期間で回復しリハビリ出勤も短期間で済み、フルタイムへの移行もスムーズでした。また労災のため、その間の記録も詳細に取り、社内で共有を行いました。
 結局労災として認定がなされたものの会社と労働者の間には特にトラブルもなく、短期間で復職を果たしましたし、労災の上乗せ等も行わずに済みました。これは最初から最後まで一貫して受容的・共感的・温かな姿勢できめ細やかに対応することで、労使が敵対することなく良い関係を構築できたからであると自負しています。

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